イタリア音楽の二大巨頭をキャリアと名盤で見分ける
バッティスティとバッティアート、もう迷わない
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2026.
09.28
ルーチョ・バッティスティとフランコ・バッティアート。どちらも1940年代生まれのイタリアのカンタウトーレ(シンガーソングライター)で、レコード屋のイタリア棚では隣り合わせに並んでいることも多い2人です。名前がそっくりなので、ジャケットを手に取ってから「どっちだっけ」となった経験がある人もいるはず。
でも並べて聴くと、中身はまるで別物です。作詞家モゴールと組んで国民的ヒットを量産した「歌心」のバッティスティと、シンセの実験音楽から出発して知的なポップへ進んだ「前衛」のバッティアート。今回は2人のキャリアと名盤を音源つきでたどり、同世代のルーチョ・ダッラたちもあわせて、見分け方を整理してみます。
早見表:まずはここだけ押さえる
ひと言で言えば、バッティスティは「歌心の人」、バッティアートは「知性と前衛の人」です。
| 項目 | ルーチョ・バッティスティ | フランコ・バッティアート |
|---|---|---|
| 原語表記 | Lucio Battisti | Franco Battiato |
| 生没 | 1943年3月5日~1998年9月9日(55歳) | 1945年3月23日~2021年5月18日(76歳) |
| 出身 | ラツィオ州ポッジョ・ブストーネ(ローマ近郊の内陸) | シチリア島・カターニャ県リポスト(旧イオニア) |
| 音楽性 | メロディ重視のポップ。R&B・プログ・ラテン・ファンクも吸収 | 電子音楽・現代音楽から出発し、知的なニューウェイヴ系ポップへ |
| 歌詞の相棒 | モゴール(Mogol)→ パスクアーレ・パネッラ | ジュスト・ピオ(共作曲)、マンリオ・ズガランブロ(哲学者・作詞) |
| 歌詞のテーマ | 恋愛、日常の感情の揺れ | 神秘思想、東洋思想、社会風刺、言葉のコラージュ |
| 人物像 | 70年代半ばからメディア露出をほぼ断った「幻の人」 | 映画監督・画家・シチリア州の観光担当官も務めた多面体 |
| 入門の1枚 | 『Il mio canto libero』(1972) | 『La voce del padrone』(1981) |
| 深掘りの1枚 | 『Anima latina』(1974) | 『Pollution』(1973) |
ルーチョ・バッティスティ:イタリア人の「感情」を書いた男
バッティスティは、作詞家モゴールとのコンビで60~70年代イタリアの国民的ヒットを量産した人物です。その一方で、洋楽の最新サウンドを貪欲に取り込んだ革新者でもありました。
ギタリストから作曲家へ(1960年代)
1943年、ローマ北東の小村ポッジョ・ブストーネに生まれました。バンドのギタリストとして活動したのちミラノへ移り、1965年頃に作詞家モゴール(本名ジュリオ・ラペッティ)と出会います。
当初は他アーティストへの楽曲提供が中心でした。エキッペ84に書いた「29 settembre」(1967)は大ヒットし、サイケデリックな感覚をイタリア歌謡に持ち込みました。
黄金期(1969~1980年)
1969年のサンレモ音楽祭に「Un’avventura」で出場し、同年「Acqua azzurra, acqua chiara」がフェスティバルバールを制して歌手としてもブレイク。同年、モゴールらとレーベル「ヌメロ・ウーノ(Numero Uno)」を設立します。
70年代に入ると「Emozioni」「Pensieri e parole」「I giardini di marzo」「Il mio canto libero」など、今も歌い継がれる曲を次々と発表。ラテンやプログに踏み込んだ『Anima latina』(1974)、ファンク/ディスコを導入した『Lucio Battisti, la batteria, il contrabbasso, eccetera』(1976)と、音楽的な冒険も止めませんでした。
この頃からライブやインタビューをほぼ拒否し、「作品だけで語る」姿勢を貫きます。1980年の『Una giornata uggiosa』を最後にモゴールとのコンビは解消しました。
パネッラ期と沈黙(1982~1998年)
1982年の『E già』では妻グラツィア・レティツィア・ヴェロネーゼが「ヴェレツィア」名義で作詞し、シンセ中心の音に切り替えます。
1986年からは詩人パスクアーレ・パネッラと組み、『Don Giovanni』から『Hegel』(1994)まで5作を発表。難解で抽象的な歌詞は大衆を戸惑わせましたが、近年は再評価が進んでいます。
1998年9月、表舞台に姿を見せないままミラノで55歳で亡くなりました。
バッティスティの名盤5選
迷ったら『Il mio canto libero』から。歌心を味わったあと、『Anima latina』で実験的な側面に触れるのがおすすめの順番です。
『Umanamente uomo: il sogno』(1972)
「I giardini di marzo」「E penso a te」を収録。内省的で静かな熱を帯びたアルバムで、彼の「切なさ」の文法が完成した1枚です。
『Il mio canto libero』(1972)
タイトル曲と「Io vorrei… non vorrei… ma se vuoi」を含む代表作。ストリングスとアコースティックギターが広がる王道のイタリアン・ポップで、入門に最適です。
『Anima latina』(1974)
南米旅行の影響を受けた、ラテン+プログレッシヴの重厚な作品。歌が音の奥に沈む大胆なミックスで、発売当時より今の方が評価の高い隠れた最高傑作です。
『Lucio Battisti, la batteria, il contrabbasso, eccetera』(1976)
「Ancora tu」を収録。ファンキーなリズム隊とディスコ感覚を取り入れたグルーヴ重視の1枚で、DJ・レアグルーヴ掘りの文脈でも人気です。
『Una donna per amico』(1978)
イギリスで現地の腕利きミュージシャンと録音した、音の洗練度が高い後期のヒット作。AORにも通じる、大人のポップスとして聴ける一枚です。
フランコ・バッティアート:前衛から国民的ポップスへ
バッティアートは、シンセを使った実験音楽から出発し、イタリアで初めて100万枚を売ったLPを生んだ異色の存在です。東洋思想や神秘主義をポップスに溶かし込んだ「知性の人」でした。
シチリアからミラノへ(1960年代)
1945年、シチリア島東岸のイオニア(現リポスト)に生まれました。60年代にミラノへ出て、しばらくはカンツォーネ歌手としてシングルを出しますが、大きな成功には至りませんでした。
実験音楽の時代(1971~1978年)
VCS3シンセサイザーに出会い、ドイツのクラウトロックや現代音楽に近い方向へ大転換。レーベル「Bla Bla」から『Fetus』(1972)『Pollution』(1973)を発表し、イタリアン・プログの最尖端に立ちます。
その後さらに前衛化し、ミニマルなピアノ曲を含む『L’Egitto prima delle sabbie』(1978)ではシュトックハウゼンの名を冠した賞を受けたとされています。
ポップ路線と大成功(1979~1980年代)
ヴァイオリニストのジュスト・ピオと組み、『L’era del cinghiale bianco』(1979)でポップに転向。前衛で培った音の感覚と、歌詞の引用・コラージュを武器にしました。
1981年の『La voce del padrone』が爆発的に売れ、イタリア初のミリオンセラーLPに。1984年にはアリーチェと「I treni di Tozeur」でユーロビジョンに出場しました。
哲学者との共作、多面的な活動(1990~2021年)
「Povera patria」(1991)で政治の腐敗を嘆き、1994年頃からは哲学者マンリオ・ズガランブロを作詞の相棒に迎えます。1996年の「La cura」はイタリアで最も愛されるラブソングのひとつです。
オペラ『Genesi』『Gilgamesh』の作曲、映画『Perduto amor』(2003)の監督、絵画制作と活動は多岐にわたります。2012年には短期間、シチリア州の観光担当官も務めました。
2019年に引退を表明。2021年5月、シチリアの自宅で76歳で亡くなりました。
バッティアートの名盤5選
入口は『La voce del padrone』一択。気に入ったら時代をさかのぼって『Pollution』の電子音に触れると、この人の振れ幅に驚かされます。
『Pollution』(1973)
シンセのノイズ、ストリングス、歌が混ざり合う初期の最高傑作。クラウトロックやイタリアン・プログ好きに強く勧めたい一枚です。
『L’era del cinghiale bianco』(1979)
ポップ転向の第一歩。前衛の後に訪れた明快さと、中東や東洋への憧れが同居する、彼の作風が固まった作品です。
『La voce del padrone』(1981)
「Centro di gravità permanente」「Bandiera bianca」「Cuccurucucù」を収めた代表作。ニューウェイヴ的なビートに知的な言葉遊びが乗り、軽快なのに一筋縄ではいかない名盤です。
『Fisiognomica』(1988)
「E ti vengo a cercare」を収録。精神性や祈りを正面から歌った、成熟期の静謐な作品です。
『L’imboscata』(1996)
ズガランブロとの共作期の代表作で、名曲「La cura」を収録。90年代以降の彼を知るならまずこれです。
あわせて知りたいカンタウトーレたち
二人にハマったら、次に掘るべきは同世代のカンタウトーレたちです。なかでも名前がかぶるルーチョ・ダッラは、三つ巴の混同の元になりがちなので要注意です。
もう一人のルーチョ:ルーチョ・ダッラ(Lucio Dalla)
1943年3月4日、ボローニャ生まれ。バッティスティとはなんと誕生日が1日違いです。ジャズのクラリネット奏者出身で、歌やアレンジにもジャズの自由さが溶け込んでいます。
1971年のサンレモで自らの生年月日を冠した「4/3/1943」を歌い注目を集めます。70年代前半は詩人ロベルト・ロヴェルシと組んだ社会派路線、後半から自ら作詞するようになり、人気を決定的にしました。
代表曲は「Piazza Grande」「L’anno che verrà」、そしてパヴァロッティも歌った「Caruso」(1986)。2012年、ツアー先のスイスで亡くなりました。まず聴くなら『Com’è profondo il mare』(1977)か『Lucio Dalla』(1979)です。
三人の見分け:ダッラはボローニャのジャズ系、ハスキーな声と丸メガネにニット帽がトレードマーク。バッティスティはモゴールとの歌心、バッティアートはシチリアの前衛派です。
その他の巨匠たち
| 名前 | 生没・出身 | ひと言で | まず聴く1枚 |
|---|---|---|---|
| ファブリツィオ・デ・アンドレ(Fabrizio De André) | 1940~1999、ジェノヴァ | 社会の周縁に生きる人々を歌った「詩人」 | 『Crêuza de mä』(1984) |
| パオロ・コンテ(Paolo Conte) | 1937年生まれ、アスティ | 弁護士出身。ジャズとシャンソンが香る渋みの作風 | 『Un gelato al limon』(1979) |
| フランチェスコ・デ・グレゴリ(Francesco De Gregori) | 1951年生まれ、ローマ | 「イタリアのディラン」と称される文学的フォーク | 『Rimmel』(1975) |
| ピーノ・ダニエーレ(Pino Daniele) | 1955~2015、ナポリ | ナポリ方言とブルース、フュージョンを融合 | 『Nero a metà』(1980) |
いずれも中古市場で見つけやすく、イタリア盤の入口として最適です。
もう迷わない:見分けのコツとまとめ
一番簡単な覚え方は「バッティアートはアート(前衛)の人」です。もう一方のバッティスティは、歌心で勝負したメロディメーカーだと覚えておけばOKです。
- 語尾で見分ける:「-sti」で終わるのがルーチョ、「-ato」で終わるのがフランコです。
- 相棒で見分ける:クレジットに「Mogol」「Panella」があればバッティスティ、「Giusto Pio」「Sgalambro」があればバッティアートです。
- レーベルで見分ける:70年代の「Numero Uno」盤ならバッティスティ、「Bla Bla」盤なら初期バッティアートです。
- 音で見分ける:感情を振り絞るような高音の歌ならバッティスティ、淡々とした語り口とシンセならバッティアートです。
二人はライバルというより、イタリア音楽の「感情」と「知性」をそれぞれ代表する存在です。まずは『Il mio canto libero』と『La voce del padrone』を並べて聴いてみてください。名前の似た二人が、まったく違う景色を見せてくれるはずです。

























































